なかなか眠れません。今は深夜4時半ってとこです。とっくに21日になってます。あと、時間があっという間に過ぎてしまう気がします。




今日はお通夜に行って参りました。流石に今日の朝には、前日よりも頭が整理された気がしていました。
僕たちがしっかりしなきゃ、そう強く思うことで、自分を励まそうとしてました。こんな風に考える自分は、考えることから逃げてしまってるのでしょうか。

某サイト管理人さん。今日(昨日)の分のは読ませてもらいました。「思い出す」ことでしかなくなってしまうっていうのは確かに寂しい。
でも、たまに頭に浮かぶことを思い出しました。僕らは、時間というものをとらえるとき、どこか必ず、数直線で考えたりはしないでしょうか。今自分のいる場所や建物が、あたかも数直線上を移動して、全てのものが時間と共に変化しているという。僕は、無意識に考えていると、このような考え方になっていることに気付くことがありました。
でも、実際は時間って流れるもんなんでしょうか?本当は、そこに、自分や自分を取り巻くものがあって、それはどこにも行かない。時間は、そこにあるものがずっとそこにある、その軌跡でしかないとは思ったり出来ないでしょうか。仮にその考え方で、時間を考えてみると、驚くほど世界観が変わることに気付きませんか?自分の記憶の中のあの場所は、その時間とともにしか存在しないんじゃない(取り壊されたりしたのだったら別だけど)、その記憶を遥かに過ぎた今でも、今という時間と確実に存在してる。今自分がいる時間と場所に、すべての過去が集約される。

彼が生きていた時間や、思い出は、もう頭の中にしかないんじゃない。彼がいた場所に僕らがいる限り、その記憶はそこに存在してる。絶対に時間に押し流されることなんてない。そこに存在し続ける。例え誰かが忘れたとしても、そこにある。

些細な考え方の違いですが、こんな風に考えるだけで、今存在してる世の中が、二重にも三重にも見えてきます。時代は変わり、人も変わるけど、その舞台は、今だってそこにある。「現在」は無常かもしれないけど、「過去」は常にそこにある。

僕らの知ってるLaylaは学校に、あの通学路に、そしてあのマンションに、時には僕の家に、いつまでも在り続けると信じてます。忘れてしまうことへの恐れは、ときに痛いほど感じます。まして今なんて!でも彼がいる場所は、いつまでもそこに在り続けるんだから。。